自分の中の違和感

from:増田拓也

@Physio Lab.

 

昨日もフォローアップセミナーがあり、毎週恒例化しそうで恐怖を覚えつつある。

毎回、0時をまわる。

きっと、参加者の理学療法士たちは私を殺そうとしているに違いない(;゚Д゚)

 

しかし、来てもらうと面白いことも多い。

それはみんなが臨床の結果を話してくれることだ。

臨床の話はやっぱり楽しい。

Physio Lab.で習得した技術を臨床で応用することで、患者の変化を教えてくれるのは

自分のこと以上に嬉しい。

 

また、現状の医療現場の話も聞けてそれも楽しみの一つだ。

昨日は二宮君が理学療法学という、日本理学療法士協会に属しているものだけが送られてくる雑誌がある。

多くは研究論文などのが多いが。

私も臨床に居るときは、3年目まで年会費2万円ちょっと払って入会していた。

 

とある出来事で、退会した。

昔も今も変なこだわりは変わらない。

良いものは、いい。

アカンものは、アカン。

ていったところだ。

 

昨日、二宮君が読んでみてほしいという論文を読ませてもらった。

膝痛に関するシステマティックレヴューだったと思う。

こんな関係の論文はよくある。

臨床に居たときは、毎日何かしら論文を一日一論文読んでいた。

 

今回の論文を読んで思ったのは、

とても違和感であった。

 

膝痛に関する分類や疾患、治療方法?みたいなことが羅列されていた。

一番何に引っかかたかというと、

やはり結果がない。

もう一つは分類の多さである。

 

臨床では分類を多くすればするほど、混乱を招く。

シンプルに、ターゲットの機能障害を絞ることが重要だ。

あれもこれもは、治療できていないのと同じである。

 

例えば、腰部脊柱管狭窄症の手術をしたとしよう。

狭窄症によって間欠性跛行を治すことが目的。

一つの治療に対して、一つの目的が常識だ。

 

なので、その論文はとてつもなく私に響かなかった。

これが今の現状か、、、

と落胆した。

と同時に、治療できる理学療法士にはチャンスだ。

周りが治せない理学療法士が増えれば増えるほど、治せるものはコントラストで

重宝される。

 

現に、基礎コース、Advanceコースを修了した者たちは、現場で重宝されている。

他の理学療法士とは別物だ。

 

先日もブログにも書いたが、AI時代の到来は目前。

理学療法士は、より特別な技術が求められる。

誰でもできるものには、価値がない。

治せない理学療法士は淘汰されるのも時間の問題だろう。

 

PS その論文は、やはり大学の教授が書いたものだった。臨床をしていない人の話は昔からやっぱり入ってこない。

 

―増田 拓也

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